またまたやってしまった❗


f:id:mf19490626gmailcom:20220928233630j:image3カ月程前に出来上がっていた、念願の三才山紬を漸く取りに行った。先日のさくらんぼ染めの単に、アタカス蚕の帯にした。着物は他店購入の物なので、帯はこの店で買ったのにした。お手入れした物も受け取りさっさと帰る予定だったけど、やっぱりいい物を目の当たりにすると意志薄弱な私、、、嗚呼‼️これでまた暫くは仕事辞められないわぁ

友ーなかやまのりこ

またまた昔話。、、卒業後、それぞれの進路にと旅立った。示し合わせたわけではなかったけど、私は東京、てんこちゃんは横浜国立病院付属の看護学校に就学した。卒業迄の3年間、看護師になってからも2~3年間は、1~2か月に1度のペースで会っていた。東横線で渋谷か、横浜を基点に取り留めなくおしゃべりしたり、お茶したりして交流を深めていた。恋愛相談は殆ど私の事だったけど、彼女は親身に聴いてくれていた。いま思うと、一方的に私の恋バナばかりで彼女が好きな男性の事を言うのを聞いた事はなかった。チラッと高校時代のN君の事を言ったことはあったけど、「うん、どうしてるかなって思っただけ」とそれっきりになった。何でもさらけ出しての私だったけど、彼女は、これ以上は踏みこめないと言った壁を持っているようだった。それでも彼女は、私の話し相手になってくれ続けて私の結婚が決まった時には、銅の寸胴鍋を贈ってくれたし、式にも来てくれた。結婚後は、私は転勤族になり会える機会が無くなってしまった。今の時代とは違って携帯なんて無いから連絡するのは手紙か家電話だった。たまに暑中見舞いや年賀状のやり取りをしてはいたが、家庭生活が中心になっていくにつれそれも途絶えてしまった。年賀状の返事が途絶えた時、2年3年は気にしなかった。数年して連絡したいと思ったときには、、私は愚かにも彼女の連絡先を亡くしてしまっていた。あれから35年余りの年月が経ってしまったー彼女は私の住所は知っているはず、ここに泊まりに来てくれたりもしたのに、、何故音信不通になっているんだろう、15年程前に高校の学生簿が届き、もしかしたら❗と43年度卒業生のページを捲ってみたが、彼女の名前は有ったが他は不詳だった。何の手懸かりも無く空しく今に至ってしまっている。てんこちゃん、今何処で何をしてるの?何故こんなにも長い間便りをしてはくれないのでしょう?

着物での食事会

行きつけの呉服屋の企画で、割烹料理屋での食事会に参加して来た。31種の食品一つ一つの説明をご主人が行ってくれて、お出しの説明、藻塩の味見もさせてもらった。どれから手を付けようかと迷ってしまう。最初に食したズッキーニの煮浸しのお出しがとても美味しかった。30人程の参加者が、食後それぞれの装いを自己紹介して互いに目の保養と、刺激を受けて楽しく過ごしたひと時だった。私の装いは先日のコーディネート会で、何故か買ってしまった😵💧さくらんぼの実で染めた捩り織の単に相良刺繍の夏帯。お天気は晴れてくれたけど、もうすっかり秋の気配が漂っていた。でもまだ九月だし、今日の為にと大急ぎで仕立て上げてくれた物なので迷わずに着用した。f:id:mf19490626gmailcom:20220925152710j:imagef:id:mf19490626gmailcom:20220925152630j:image

孫達との2.5日

5月の連休以来、2,3回のラインしか送って来ていなかった長女が、いきなり週末の連休で子供👶連れで帰省して来た。7月迄、シフト勤務で子供の世話も有って、仕事辞めなきゃならないかなぁと思っていたけれど、8月から日勤土日休みに変わり、一気に楽になったとの事。孫達は、「じいちゃん、ばあちゃんに会いに行きたい」としょっちゅうせがんでいたそう。二人とも、特にじいちゃんが好き。主人も7人の孫達を皆同じように気に掛けて可愛く思っているが、7番目は、初めて産院帰りから見ていたし(それ迄は中国にずっと居たので、乳幼児の頃は会ってはいなかった)特に可愛いく思っている感がする。でも、7人7様それぞれに皆特性が有って、皆愛すべき子達。また、皆「じいじ、ばあば」と慕ってくれているのはとても幸せだって思っている。明日は、6番目のお兄ちゃん孫は少年サッカーの試合があるので、さっき成田にと帰って行った。5時間以上の車での移動なので帰り着く迄は心配しているが、「孫は来るのも嬉しい、帰るも嬉し」で、やっぱり少しほっとしている。夕食は、孫の希望でお寿司にした。少し肌寒かったので、透けない紬の単に半巾帯にした。この紬地は、私の母のタンスに残っていた物を処分しないで、仕立ててもらった物。秋の色合いなのでこの時期にたまに着用している
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更に続き

高校のグループ仲間は皆大学進学を期待されていたが、桂ちゃんが韓国の梨花女子大学入学しただけ(彼女が韓国人国籍だったとは私達は3年生になって初めて知ったが、大学には韓国の大学にと両親の強い希望もあったらしい。)てんこちゃんも私も博子ちゃんも、皆、大学進学はしなかった。卒業式の後ちょっと私たちが、談笑している所に出くわした石山先生が、「あんたら、皆して変わり者ばっかりやなあ!」と半ば呆れ顔で言ってきた。「先生には敵いませーん」と返して笑って別れた。この世界史の先生こそ変わり者で、大学時代に何日も徹夜して書物を読み明して一時失明し1か2年留年したとの武勇伝が伝わっていた。教師1年生で世界史の担当でやってきた。私もてんこちゃんも、世界史大好きだったし、この新任教師に興味が湧いた。「分からない事は何でも職員室に聞きにきていいぞ。」と言うから、二人して、それこそ重箱の隅をつつくような質問を作っては、何回も「先生~これは?」と尋ねて行った。初めのうちは「おう」と言って机の上に高く積み上げてあった自慢の参考文献?資料集を探して答えてくれていたが、、何回も尋ねて行くし、隣の数学の先生から「おう、また来たねぇ」などと半ばからかわれたりもしていたので、終いには、「あんたら、もう来るな。付き合い切れない!」と出禁になってしまった。今思うと、あの嫌味な襲撃は私よりてんこちゃんの方がノリノリだったかもー

友達ーつづき

彼女をよく「てんこちゃん」と呼んでいた。中学の時、東京から転校して来たそうでやはり、どこか洗練した雰囲気を醸し出してた。つんとすました感じ、はにかんだような小さな笑顔に初対面で恋に落ちた。アハハと大口開けて笑う私とは対照的に彼女の微笑みは歯を覗かせるなんて事は殆ど無かった。彼女が、どう思ったかは知らないけど、私も、それほど強力にアタックした訳でも無かったが、すぐに一番の友達同士になっていた。やっぱり小説や漫画、映画の話が、多かった感がある。前にも書いたけど、高校では、1組は1日8コマ授業で、終了時刻は17:15、私は30分のバス通学。終わる5分前に勝手に「すいません🙏」と教室を飛び出してバス停に駆けつける毎日。日曜は英語の先生の家での特訓補習だったから(これは、かの校長が、山中部の生徒は英語の成績が、市内の子より劣っていたから、特訓しろと英語の先生に命令して行われた)私達の交流は、殆どが、学内ばかりだった。恋の話は、、アハハ、、、恋に恋する夢多き乙女?の片思いに盛り上がっていた話はまたいつか。学業と片思いに胸躍らせつつ、てんことの友情と、、高校時代は満ち足りた思い出が有りすぎるほどだったと思う

友達ーなかやまのりこ

高校入学して、すぐに一目惚れするかのように心引かれた人がいた。どちらからと言うことも無くいつも一緒にいるようになるのにそれほど時間は切らなかった。クラスでは、幾つかの仲良しグループが形成されていたが、私と彼女(中山典子)と彼女の元々の友達三人の五人グループもその一つ。でも各グループ同士も時々はシャッフルされたりしてクラス仲間は仲良しだった。クラスマッチでは全員一致団結して応援したり、学年優勝を勝ち取って盛り上がったりした。彼女との交流は、私の人生の中での青春時代の最高の宝物だと思っている。
f:id:mf19490626gmailcom:20220920222542j:imageロマン.ローランの「ジャンクリストフ」のこと。どちらが先に読み始めたかは覚えて無いけど、彼女は子供の頃のクリストフが、階段の窓から滔々と流れるライン川を眺めて、自分の生き方に光を見いだすシーンに心震えると言った。私も同じくその部分の彫刻の挿し絵は今も手元に持っている。その一節はまだ暗記している、、萩尾望都の「ポーの一族」がいいと先に言ったのは彼女、「11月のギムナジウム」が素晴らしいと涙しながら言ったのは私だと思う。同じく昭和24年組。萩尾もとの作家才能には叶わずとも心の琴線に響き合うものを覚えていた。脱線する賀ー当時私も、漫画を描いてみたりもしていた。美内すずえ青池保子池田理代子里中満智子、木原としえ、、その錚々たるメンバーに続いてみたいなどと大それた野望を持ちかけたが、萩尾望都の才能の前に、脱落した。